正月召之東」と書してある。茶山は江戸に著いて、微恙のために阿部家の小川町の上屋敷に困臥し、紙鳶《たこ》の上がるのを眺めてゐた。茶山の集に「江戸邸舎臥病」の二絶がある。「養痾邸舎未尋芳。聊買瓶花插臥床。遙想山陽春二月。手栽桃李満園香。閑窓日対薬炉烟。不那韶華病裡遷。都門楽事春多少。時見風箏泝半天。」「春二月」の三字にダアトが点出せられてゐる。蘭軒の集には又「春日郊行。途中菘菜花盛開。先是菅先生有養痾邸舎未尋芳之句、乃剪数茎奉贈、係以詩」と云ふ詩がある。「桃李雖然一様新。担頭売過市※[#「「纒のつくり+おおざと」、7巻−48−上−9]塵。贈君野菜花千朶。昨日携帰郊甸春。」菜の花に菘字《しゆうじ》を用ゐたのは、医家だけに本草綱目に拠つたのである。先生と云ひ、奉贈《ほうぞう》と云ふを見れば、茶山と蘭軒との年歯の懸隔が想はれる。茶山が神辺《かんなべ》の菅波久助の倅|百助《ひやくすけ》であつたことは、行状にも見えてゐるが、頼の頼兼《よりかね》を知つた人も、往々菅の菅波を知らない。寛延元年の生で、此年五十七歳、蘭軒は二十八歳であつた。推するに蘭軒は殆ど師として茶山を待つてゐたのであらう。
 三月にな
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