人世帯となつた。
 わたくしは瑞仙の後妻の死を此に插叙して置いて、さて京水の記に戻る。「時寛政二年善郷居を京に移すの志あるに因て、先づ善直を信郷が家に贈」と云ふ文である。瑞仙|善郷《よしさと》は自ら京都に入らむと欲して、先づ養子祐二を弟玄俊|信郷《のぶさと》の車屋町《くるまやまち》の家に遣つたのである。
 京水の記は次に「同(寛政)三年善郷女於千代を従え、共に信郷が家に寓すること半年を尽し、始て居を油小路の裏店に求」と云つてある。
 瑞仙が祐二を車屋町に遣つたのは、誰に託して遣つたか知らぬが、其時は後妻|寿慶《じゆけい》の歿日より後であらう。十月二十四日より後であらう。瑞仙は二年の暮近くなつて、先づ祐二を京へ遣り、三年に入つて自分も千代を率《ゐ》て京に入り、弟の家に寄寓した。そして此より半年を過した後、即ち三年の秋の頃京都油小路の裏店《うらだな》に住むこととなつた。
 是が瑞仙の書上に「寛政二年辛亥(中略)請邀る者あり、因て暫く京都に寓」すと云ひ、二世瑞仙晋撰の行状に「後君厭浪華市井之囂塵、寛政壬子秋、游于京師」と云つてある事蹟の真相である。「辛亥」は二年にあらずして三年、「壬子」は四
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