本に従へば生田頼宗から起つてゐる。天児屋根命《あめのこやねのみこと》二十二世の孫が藤原鎌足で、鎌足十四世の孫が忠実《たゞざね》である。忠実の子が悪左府頼長、頼長の子が兼長、兼長の子が生田頼宗である。
 頼宗は蒲冠者範頼《かばのくわんじやのりより》に仕へた。頼宗の女《ぢよ》は範頼の子頼信を生んだ。頼宗はこれを養つて嗣となした。嫡孫承祖である。錦橋本は此頼信より起つてゐる。此故に生田氏は京水本に従へば藤原氏となり、錦橋本に従へば清和源氏となるのである。しかし此遠祖の事は、わたくしはこれを批評の範囲外に置く。
 頼信十六世の孫が嵩山正直《すうざんまさなほ》である。此世数は京水本に従つて記し、復た諸本の異同を問はない。亦わたくしの評することを敢てせぬ所だからである。
 嵩山正直は始て池田氏を称した。明人《みんひと》戴笠《たいりつ》の痘科《とうくわ》を伝へたと称するものは此嵩山である。此授受の年月には疑がある。嵩山は戴笠が岩国に淹留してゐた時、其治法を伝へたと云ふ。然るに戴笠の岩国に来たのは、僧となつて独立《どくりふ》と号した後で、寛文中の事となるらしい。嵩山の歿年万治二年と云ふに契《かな》はな
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