註してある。
此年七月二十八日に、蘭軒の父信階の養母大久保氏伊佐が歿した。戒名は寿山院湖月貞輝大姉である。「又分家」の先霊名録には寿山院が寿山室に作つてある。年は八十四であつた。
蘭軒雑記に拠れば、所謂《いはゆる》浅草太郎稲荷の流行は此七月の頃始て盛になつたさうである。社の在る所は浅草田圃で、立花左近将監|鑑寿《あきひさ》の中屋敷であつた。大田南畝が当時奥祐筆所詰を勤めてゐた屋代輪池を、神田明神下の宅に訪うて一聯を題し、「屋代太郎非太郎社、立花左近疑左近橘」と云つたのは此時である。
その二十三
此年享和三年十月七日に、蘭軒が渡辺東河を訪うて、始て伴粲堂《ばんさんだう》に会つたことが、蘭軒雑記に見えてゐる。粲堂、通称は平蔵である。煎茶を嗜《たし》み、篆刻《てんこく》を善くした。此日十月七日は西北に鳴動を聞き、夜灰が降つたと雑記に註してある。試に武江年表を閲《けみ》するに降灰《かうくわい》の事を載せない。
蘭軒の結婚は家乗に其年月を載せぬが、遅くも此年でなくてはならない。それは翌年文化元年の八月には長男|榛軒《しんけん》が生れたからである。蘭軒には榛軒に先《さきだ》つ
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