べき棠軒淳良《たうけんじゆんりやう》が、四月十四日に因幡国《いなばのくに》鳥取の城主松平因幡守|斉訓《なりみち》の医官田中|淳昌《じゆんしやう》の子として生れた。通称は鏐造《りうざう》である。母の名は八百、杉田玄白の女《ぢよ》だと、歴世略伝に云つてある。玄白とは初代玄白|翼《よく》であらうか。玄白は初め子がなかつたので、建部《たてべ》氏|伯元勤《はくげんきん》を養つて嗣とした。其後一児を挙げたのが立卿予《りつけいよ》である。女《むすめ》の事は伝に見えない。勤《きん》と予《よ》との女《ぢよ》の事も亦同じである。杉田氏の系譜を識る人の教を乞ひたい。
頼氏では此年五月|朔《さく》に杏坪《きやうへい》が七十九歳で広島に歿した。わたくしは其集の末巻《まつくわん》を攤《ひら》いて見た。「黄葉村南人去後。毎逢花月独推敲。」此恨は蘭軒にあつては僅に一年余であつたが、杏坪にあつては七年の久しきに至つた。「旧歓杳渺多年夢。故友凄寥残夜星。」
此年蘭軒の子女は榛軒三十一、柏軒二十五、長二十一であつた。蘭軒の姉は六十四、榛斬の継室は三十五になつた。
その二百十三
蘭軒歿後の第六年は天保六年
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