には正寧が福山城に入つた。此日の榛軒の書は親戚故旧の名を列記して、柏軒に「致声《ちせい》」を嘱したに過ぎない。
十四日の榛軒の書には、書を作るに臨んで眼前の景を叙したと云ふ詩がある。「山城寂々五更初。愁緒千条不展舒。月苦風寒狐叫処。青燈火下写家書。」柏軒をして問安せしめた二十余人の中に、「小島|学古《がくこ》」がある。
十九日には江戸で柏軒が劇を看て、これを兄に報じた。「木挽町の芝居見物、三升の暫なり」と云つてある。同行者は「渋江夫婦、小野親子、多多羅、有馬、てる、なべ町娘《ちやうむすめ》」と記してある。渋江抽斎の挈《たづさ》へて往つた妻は比良野氏|威能《ゐの》で、前年己丑に帰《とつ》いで、次年辛卯には死ぬる女である。小野親子は令図《れいと》富穀《ふこく》であらう。多多羅は辨夫《べんふ》、有馬は宗緩《そうくわん》であらう。二人の女の誰なるを知らない。
二十四日には柏軒が兄に狩谷※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の女《ぢよ》俊《しゆん》の病を、「容態宜からず」と報じてゐる。
二十六日に榛軒が弟に与ふる書は、未だ俊の病を知らざるものゝ如く、却つて其兄の病を問うてゐる。「少
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