白雲満山夢不迷。」朴斎は兄|富卿《ふけい》を前導者として榛軒に推薦したのである。
 福山へ立つた兄榛軒と、江戸に留まつた弟柏軒との間に取り替された書牘は、集めて一巻となし、「荏薇問答」と題してある。荏土《えど》と黄薇《きび》との間に取り替されたからであらう。わたくしは此書を徳《めぐむ》さんに借りて、多少の価値ありと認むべき数条を抄出する。
 榛軒は十月十六日の暁に江戸を発した。同行した僚友は雨富良碩《あまとみりやうせき》、津山|宗伯《そうはく》であつた。留守は柏軒で、塩田|楊庵《やうあん》、当時の称小林|玄瑞《げんずゐ》が嘱を受けて其相談相手になつた。
 榛軒が去つた直後に、留守宅に傷寒論輪講の発会があつた。来会者は各《おの/\》数行の文を書して榛軒に寄せた。合作の柬牘《かんどく》である。会日は十月二十日であつた。
 首《はじめ》に柏軒が書した。「磐安《はんあん》曰。集まりし人より伝言左の如し。尤《もつとも》各自筆なり。」
 次に渋江抽斎が書した。「道純敬啓。御出立の砌は参上、得拝眉、大慶不過之候。御清寧、御道中種々珍事可有之、奉恭羨候。廿日より傷寒論講釈相始候処、諸君奇講甚面白し。輪
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