復《またまた》編年では無ささうである。おそのさんの談話の如きは、固《もと》より年月日を詳《つまびらか》にすべきものに乏しい。わたくしは奈何《いかに》して編年の記述をなすべきかを知らない。
その三
わたくしはかう云ふ態度に出づるより外無いと思ふ。先づ根本材料は伊沢|徳《めぐむ》さんの蘭軒略伝乃至歴世略伝に拠るとする。これは已むことを得ない。和田さんと同じ源を酌まなくてはならない。しかし其材料の扱方に於て、素人歴史家たるわたくしは我儘勝手な道を行くことゝする。路に迷つても好い。若し進退|維《こ》れ谷《きは》まつたら、わたくしはそこに筆を棄てよう。所謂《いはゆる》行当ばつたりである。これを無態度の態度と謂ふ。
無態度の態度は、傍《かたはら》より看れば其道が険悪でもあり危殆《きたい》でもあらう。しかし素人歴史家は楽天家である。意に任せて縦に行き横に走る間に、いつか豁然として道が開けて、予期せざる広大なるペルスペクチイウが得られようかと、わたくしは想像する。そこでわたくしは蘇子の語を借り来つて、自ら前途を祝福する。曰く水到りて渠成ると。
系譜を按ずるに、伊沢氏に四家がある。其
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