堂潔。毫引瑞烟映桷※[#「丹+彡」、第3水準1−84−29]。竹色経寒猶勁直。梅花得雨自温恭。昇平方是宜游予。満囿春風供散※[#「竹かんむり/(エ+おおざと)」、第3水準1−89−61]。」憾《うら》むらくはわたくしは未だ阿部侯の原唱を見ない。
菅茶山の歳首の詩は、一家の私事の外に出でなかつた。「元日得頼千祺書、二日得漆谷老人詩。鳥語嚶々柳挂糸。春来両日已堪嬉。更忻此歳多佳事。昨得韓書今白詩。」千|祺《き》が杏坪《きやうへい》の字なるは註することを須《もち》ゐぬであらう。漆谷《しつこく》は市河三陽、小野節二家の説を聞くに、後藤氏、名は苟簡《こうかん》、字は子易《しえき》、一|字《じ》は田夫《でんふ》、又木斎と号した。北条霞亭の尺牘に拠るに、通称は弥之助である。讚岐の商家に生れ、屋号を油屋と云ふ。前年備後に来て、茶山と親善であつたことは、後者の癸未以後の詩に徴して知られる。
茶山は此正月二日の詩に於て、単に家事のみを語つてゐるが、別に新年の五律があつて、「藩政俗差遷」と云ひ、又「救荒人忘旱」とも云つてゐる。前年は備後が凶歉《きようけん》であつた。
その百五十五
蘭軒は
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