ゐずしてこれを知ることを得た。十月四日には入江若水《いりえじやくすゐ》の墓を弔した。若水、名は兼通《けんつう》、字《あざな》は子徹《してつ》である。嘗て僧似雲が任有亭にゐた時、若水は櫟谷《いちだに》にゐた。「跡つけてとはぬも深き心とは、雪に人待つ人の知るらむ」は、雪の日に似雲の若水に贈つた歌である。此日は享保十四年に若水の歿した忌辰であつた。

     その百四十八

 北条霞亭は辛未十月三日に任有亭《にんいうてい》から梅陽軒《ばいやうけん》に移つた。「一年為客四移蹤。来去自由無物従。」此より嵯峨生活の後期に入るのである。林崎より竹里《ちくり》へ、竹里より任有亭へ、任有亭より梅陽軒へ、以上三移である。四移と云ふは、竹里と任有亭との間に市中に住んだ二旬余があるからであらう。
 梅陽軒は空僧院《くうそうゐん》である。「幽寺無僧住。随縁暫寄身。」院は竹林《ちくりん》の中にある。「蘿纏留半壁。竹邃絶比隣。」そして門前をば大井川の支流|芹川《せりかは》が流れ過ぎ、水を隔てて嵐山の櫟谷《いちだに》を望み見る。「櫟谷寒燈※[#「火+(日/立)」、第3水準1−87−55]々。芹渠暗水潺々。」前の四句
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