別、余輩経若狭、入丹後、観天橋、踰大江山帰、往来十有五日」と、樵歌に記してある。伊勢の看松《かんしよう》が杖を霞亭に贈つて、凹巷はそれを持つて来たので、霞亭は携へて天橋立に遊んだ。所謂|蘆竹杖《ろちくぢやう》である。諸友の句を題した中に、「昔游観物最難忘、想倚天橋松影碧」と云ふのがある。これは凹巷の七律の七八である。凹巷と田孫二人とが辞し去る時、霞亭はこれを勢田の橋に近い茶店《ちやてん》まで送つた。「長橋短橋多少恨。満湖風雨送君帰。」
 霞亭は六月に至るまで竹里に居つた。次で事があつて、京の街に住むこと二十余日にして、又嵯峨に帰つた。そして再び幽篁書屋《いうくわうしよをく》に入ることをなさずに、任有亭《にんいうてい》に寄寓した。嵯峨生活の中期は此に始まる。樵歌に「予因事徙居都下二旬余、不堪擾雑、復返西峨、寓任有亭、翌賦呈宣上人」の詩がある。宣上人《せんしやうにん》は僧月江である。後に「予在任有亭宛百日、初冬八日将移林東梅陽軒」と云ふを見れば、任有亭に入つたのは六月二十八日であらう。これは前後のわたましの日をも算入して百日となしたのである。
 任有亭は享保中僧|似雲《じうん》の住んだ故跡
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