たく》するに、下《しも》の如くであらう。昌平辺先生とは昌平黌の祭酒博士を謂ふ。即ち林《りん》祭酒述斎を始として、柴野栗山、古賀精里等の諸博士である。その二洲でないことは明である。二洲の家にあるものが、ことさらに二洲を訪ふべきでは無いからである。前人の意中はかうであらう。
独りわたくしの思索は敢て別路を行く。山陽が江戸にあつた時、初め二洲の家にゐたことは世の云ふ所の如くであらう。しかし後には二洲の家にはゐなかつたらしい。少くも此手紙は二洲の家にあつて書いたものではなささうである。「昌平辺」の三字は、昌平黌の構内にゐて書くには、いかにも似附かはしくない文字である。外にあつて昌平黌と云ふ所を斥《さ》すべき文字である。
わたくしは敢てかう云ふ想像をさへして見る。「昌平辺先生」は、とりもなほさず二洲ではなからうかと云ふ想像である。二洲は瓜葛《くわかつ》の親とは、思軒以来の套語であるが、縦《よ》しや山陽は一時の不平のために其家を去つたとしても、全く母の妹の家と絶つたのでないことは言を須《ま》たない。しかし少くも山陽は些《ちと》のブウドリイを作《な》して不沙汰をしてゐたのではなからうか。すねて往
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