遺事は他日浜野氏が編述し、併て其遺稿をも刊行する筈ださうである。わたくしは上《かみ》に云つた如く、浜野氏に就いて既刊の霞亭の書二三種を借り得たから、読過の間にわたくしの目に留まつた事どもを此に插記しようとおもふ。人若しその道聴途説《だうていとせつ》の陋《ろう》を咎むることなくば幸である。
山陽は霞亭の祖先を説いて、「其先出於早雲氏」と云つた。霞亭も亦自ら其家系を語つてゐる。渉筆に云く。「昔吾家宗瑞入道。嘗召一講師読七書。首聴三略主将之法務攬英雄之心句。断然曰。吾已領略。其他不欲聞之。英豪之気象。千載如生。而斯語也。実名言也。為将帥者不可不服膺。」軼事《いつじ》は今人の皆知る所である。わたくしの此に引いたのは、その霞亭の筆に上つたためである。
次に山陽は「後仕内藤侯、侯国除」と云つてゐる。そして「志摩的屋人」の句は先祖を説くに先だつて下《くだ》してある。文が頗る解し難い。所謂「内藤侯」の何人《なにひと》なるかは、稍《やゝ》史に通ずるものと雖、容易に知ることが出来ぬであらう。わたくしは山陽が強て人の解することを求めなかつたのではないかと疑ふ。
渉筆に西村|維祺《ゐき》の文が載せてある
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