家せしめてゐたから、敬には仕ふべき舅姑《きうこ》は無い。的屋には敬の帰るべき家は無い。山陽は「考以次子立敬承家」と書してゐる。立敬は惟長である。
そこで敬は神辺《かんなべ》の里方へ帰ることとなつた。敬は江戸を立つて東海道にさし掛かつた。然るに江戸より神辺に至る途中に、茶山の書牘に云ふ如く、二三の厄難があつた。
敬は箱根の関に半日余抑留せられた。それは髪の結振《ゆひぶり》が書付と符せぬが故であつた。或は後家らしい髪が途上却つて人の目に附くを憚つて、常体《つねてい》に改めてゐたのであらうか。関の役人は金三歩を受けて、纔《わづか》に敬を放つて去らしめた。当時の吏の収賄である。わたくしは此汚吏の長官の誰なるかを検して見た。此年の役人武鑑に箱根の関所番として載せてあるのは、相模国小田原の城主大久保加賀守|忠真《たゞざね》であつた。或はおもふに当時の吏は例として此の如き金を受け、その収賄たるに心付かずにゐたのではなからうか。
その百三十八
北条霞亭の未亡人敬は僅に箱根の関を踰《こ》ゆることを許されて、池鯉鮒《ちりふ》の駅まで来ると、又一の障礙に遭つた。それは江戸から供をして来た
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