うである。しかし敬が嚢里の家の落成に先《さきだ》つて来てゐたことは、移居の詩に「家人駆我懶」と云ひ、「団欒対妻孥」と云つてあるを見て知られる。
その百三十七
北条霞亭と其妻敬とが辛巳の歳に江戸に来てから、此年癸未に至るまで、足掛三年の間、蘭軒の家と往来してゐたことは明である。霞亭が菅茶山の書牘を剪《き》り断つて蘭軒に示したことは、上《かみ》に云つた如くである。
しかし敬が果して、茶山の誨《をし》へた如くに、蘭軒を視ること尊属に同じく、これに内事を諮《はか》つたかは疑はしい。少くも此の如き証跡は一も存してゐない。
さて此年八月十七日に霞亭は病死した。主家阿部氏に於ては、正精《まさきよ》が病と称して事を視ざるに至つてから、四五箇月の月日が立つてゐる。霞亭は解褐《かいかつ》以来未だ幾《いくばく》ならぬに死んだ。しかも主家に事ある日に死んだ。其臨終の情懐を想へば、憐むべきものがある。
わたくしは霞亭に痼疾のあつたことを聞かない。其死を致した病は恐くは急劇の症であつただらう。わたくしは唯霞亭が酒を嗜《たし》んだことを知つてゐる。酒を嗜むものは病に抗する力を殺《そ》がれてゐる
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