検すれば、神田の阿部邸は正精の未だ老中にならなかつた前と、その既に老中を罷めた後と、同じく猿楽町の西側にある。蘭軒が「賜邸」と書したのは故ある事であらうが、福山藩の人に質《たゞ》さなくてはわからない。それはとまれかくまれ、正精は西丸下より小川町に移る中間に、一たび丸山邸に入つたのである。
その百三十五
阿部正精は将《まさ》に老中の職を罷めむとする時詩を賦した。「癸未以病辞相、短述※[#「てへん+慮」、第4水準2−13−58]懐」として七律一首、又「同前七絶八首」として聯作の絶句がある。末《すゑ》には「文政六年歳次癸未秋九月下澣、阿正精藁」と署してある。
此詩は正精が自ら書して古山静斎に与へた。後正精の六男正弘は、静斎の子善一郎のために、「牆羮」の二字を巻首に題した。後漢書の「昔堯※[#「歹+且」、第3水準1−86−38]之後、舜仰慕三年、坐則見堯於牆、食則覩堯於羹」に取つたのである。
七律に云く。「半歳寥寥久抱痾。一朝解綬意蹉※[#「足へん+它」、第3水準1−92−33]。欲抛人世栄名累。難奈君恩眷寵多。庭際霜寒飄老葉。池頭秋晩倒枯荷。回思二十年間夢。浩歎※[#「勹
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