ある。
その百三十一
わたくしは菅茶山の此年文政五年に蠣崎波響に贈つた詩に拠つて、蘭軒等の甲子舟遊の端緒を究めようとした。詩の云ふ所はかうである。茶山は甲子の歳に江戸に来て、波響と一たび柴野栗山の家に会し、再び犬冢印南の家に会した。犬冢の家で二人は夜の更けるまで昔語《むかしがたり》をして、さて主人と三人川開の日に墨田川に舟を泛べて遊ぶことを約した。蘭軒は誘はれてこれに加はつたのである。「更集冢翁木王園。夜半忘帰泣道故。坐上刻日謀舟遊。新旧相結尽仙侶。泝到綾瀬出塵囂。叢葦覆岸烟生午。沿下柳橋入笙歌。万燈映波夜無暑。」わたくしは嘗て当時茶山の詩が烟火戯《えんくわき》を言はぬことに注目したが、此詩を作るに至つても、茶山は尚飽くまでこれを言ふことを避けてゐる。
甲戌の歳に茶山が再び江戸に来た時には、波響蠣崎将監の宗家の当主松前若狭守|章広《あきひろ》が陸奥国伊達郡梁川の城主になつてゐて、波響は章広に従つて梁川に往つてゐた。「憶昔東武再遊時。君従移封阿武※[#「さんずい+眉」、第3水準1−86−89]。両地比旧差為近。卸鞍先報我新来。阿武東武猶千里。君云相告何太遅。置郵時時説近
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