金を賜はつた。覚書の文は略する。
 冬の詩は集に載するもの凡《おほよそ》四首である。中に「病中偶成」の作がある。蘭軒の起居を知らむがために此に抄出する。「遊事久無問酔醒。兼旬臥病寂山※[#「戸の旧字/炯のつくり」、第3水準1−84−68]。更恐飲膳多成祟。欹枕時時検食経。」最後に「閑中書事」の五律二首がある。其前なるは尚枳園の書であるに、後なるは蘭軒の自筆に復《かへ》つてゐる。前者の三四は「壁挂唐碑幅、架蔵宋板書」である。病める蘭軒を慰むるものは、此|古搨本《こたふほん》古槧本《こざんほん》であつただらう。
 菅氏では此年茶山が七十五になつた。わたくしはその一|載間《さいかん》の詩を読んで、事の間接に蘭軒に関するものあるを見出した。それは文化甲子七月九日の墨田川|舟遊《ふなあそび》の記を補ふべき事である。
 舟遊には犬冢印南《いぬづかいんなん》と茶山との両先輩の下に、蠣崎波響《かきざきはきやう》、木村|文河《ぶんか》、釧雲泉《くしろうんせん》、今川槐庵及蘭軒が来り集つた。しかし誰が何時此遊を企てたか未詳であつた。然るに此遊の発端が茶山の「憶昔三章呈蠣崎公子」の詩中に詳叙せられてゐる。

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