与天公強自寛。千万謝言求債客。窃来窓下把書看。」蘭軒は此日債鬼に肉薄せられたのである。千万謝言の後、架上の書を抽《ぬ》いて読んだと云ふ、その灑々《しや/\》たる風度が、洵《まこと》に愛すべきである。
 枳園の書した最初の詩は「熊板君実将帰東奥、臨別贈以一律。」と題してある。「君家先世称雄武。遺訓守淳猶混農。賑※[#「血+おおざと」、第4水準2−88−4]郷隣経奕葉。優游翰墨托高踪。自言真隠名何隠。人喚素封徳可封。遙想東帰秋爽日。恢然※[#「てへん+主」、第3水準1−84−73]笏対群峰。」
 熊板は或は熊坂の誤ではなからうか。これはわたくしの手抄に係る五山堂詩話の文に依つて言ふのである。わたくしは偶《たま/\》その何巻なるを註せなかつたので、今|遽《にはか》に刊本の詩話を検することを得ない。其文はかうである。「東奥熊坂秀。字君実。号磐谷。家資巨万。累世好施。大父覇陵山人頗喜禅理。好誦蘇黄詩。至乃翁台州。嗜学益深。蔵書殆万巻。自称邑中文不識。海内知名之士。無不交投縞紵。磐谷能継箕裘。家声赫著。」蘭軒の贈言《ぞうげん》を得た人は其|字《あざな》を同じうし、其郷を同じうしてゐて、氏に熊字があ
前へ 次へ
全1133ページ中420ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング