五月二十二日以後に月日の明なるものが只一つある。それは六月二十五日に法隆寺|西園院《さいをんゐん》にゐたと云ふことである。即ち神辺を立つてから第三十一日である。
わたくしの三村氏を煩はして検してもらつた好古小録の填註に、既に引いたものの外、猶左の数箇条がある。
「好古小録法隆寺上宮太子画像。※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎曰。文政四年六月観。」
「同施法隆寺物数書。※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎曰。文政四年六月二十五日法隆寺西園院にて観。」
「同円光大師絵詞。※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎曰。文政四年七月観。」
最後の一条を見れば、※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎父子が秋に入つて猶奈良に留まつてゐたことが知られる。此より後父子の江戸に還つたのが、まだ冬にならぬ前であつた証跡は、※[#「くさかんむり/姦」、7巻−249−下−7]斎詩集に見えてゐるが、それは後に記す。
わたくしは此より蘭軒の事蹟に立ち帰つて、夏より後の詩集を検する。此時に当つてわたくしは先づ一事を記して置きたい。それは富士川氏蔵の詩集は蘭軒自筆本であるのに、所々に榛
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