活をしてゐたものと察せられる。第四の銅脈先生は世の知る所の畠中観斎《はたなかくわんさい》に非ざることは論を須《ま》たない。観斎は夙《はや》く享和元年に歿したからである。書牘には銅脈先生の四字の下《しも》に「広右衛門こと」の註がある。但し此|広右衛門《ひろゑもん》も亦艸体が頗る読み難い。或は誤読ならむも測り難い。その銅脈先生が暫く寓してゐると云ふ第五の「矢かは」も「は」文字が読み難い。わたくしは此に疑を存して置く。総括して言へば、竹内某、森脇某、某氏伊十、某氏広右衛門、矢川某の五人が茶山の此書牘に出でてゐる不明の人物である。
 茶山の蘭軒に与ふる書には多く聞人《ぶんじん》の名が出で、その霞亭に与ふる書にはこれに反して此の如く無名の人が畳出《でふしゆつ》するのは、茶山と霞亭とが姻戚関係を有してゐたからであらう。
 ※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎父子が此年五月二十日に黄葉夕陽村舎に著き、其夜と二十一日の夜とを此に過し、二十二日に辞し去つたと云ふ事実は、独り右の茶山の書牘に其跡を留めてゐるのみでは無い。茶山の集中に「狩谷※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎父子来訪」と題し
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