かつなん》が一たびこれが伝を立てたことがあつた。只彼人名辞書の記載は海保漁村《かいほぎよそん》の墓誌の外に出でず、羯南の文も亦経籍訪古志の序跋を参酌したに過ぎぬに、わたくしは嗣子保さんの手から新に材料を得た。これに反して蘭軒の曾孫|徳《めぐむ》さんと、其宗家の当主信平さんとの手より得べき主なる材料は、和田さんが既に用ゐ尽してゐる。就中《なかんづく》徳さんの輯録した所の材料には、「右蘭軒略伝一部帝国図書館依嘱に応じ謹写し納む。大正四年四月八日」と云ふ奥書がある。わたくしは和田さんが材を此納本に取つたことを疑はない。わたくしの新に伊沢氏に就いて、求め得べき材料は、此納本に漏れた選屑《えりくづ》に過ぎない。縦《よ》しや其選屑の中には、大正五年に八十二歳の齢を重ねて健存せる蘭軒の孫女《まごむすめ》おそのさんの談片の如き、金粉玉屑《きんふんぎよくせつ》があるにしても。
 蘭軒を伝ふることが抽斎を伝ふるより難いには、猶一の軽視すべからざる理由がある。それは渋江氏には「泰平千代鑑」と題するクロオニツクがあつて、帝室、幕府、津軽氏、渋江氏の四欄を分つた年表を形づくつてゐるのに、伊沢氏には編年の記載が少
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