う》、又右衛門と称した。白川の大夫である。
此年戊寅は茶山の京阪に遊んだ年である。吉野から江戸の岡本花亭に詩を寄せた。「誰知当此夜。身在此山中。想君亦尋花。歩月墨水東。月自照両処。花香不相通。恰如心相思。遊迹不可同。」何ぞ料《はか》らむ、これは花亭が書を上《たてまつ》つて職を罷めた三月であつた。
頼氏では此年山陽が西遊稿を留めた。茶山と山陽との友|登々庵武元質《とうとうあんたけもとしつ》が二月二十四日に歿した。これは茶山の輙《すなは》ち信ずることを欲せざる凶報であつた。「遠郷恐有伝言誤。将就親朋看訃音。」
此年蘭軒は四十二歳、妻益は三十六歳、子女は榛軒十五、常三郎十四、柏軒九つ、長五つであつた。
文政二年の元旦には、蘭軒は江戸にあつて、子弟門生の集つて笑語するを楽み、茶山は神辺にあつて、閭里故旧の漸く稀になり行くを悲んだ。蘭軒の「己卯元日」はかうである。「山靄初晴旭日紅。纔斟椒酒意和融。未聞黄鳥新歌曲。春色已生人語中。」茶山の「元日口号」はかうである。「村閭相慶往来頻。老眼偏驚少識人。政爾陽和帰四野。誰回身上旧青春。」
九日は江戸の気候が稍《やゝ》暖《あたゝか》であつたものか
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