|徳《めぐむ》さんが蔵してゐる。又此手写本に就いて門人|鼓常時《つゝみつねとき》の複写したものは富士川游さんが蔵してゐる。
 医範九章の末に下《しも》の文がある。「右医範九章。家大人所撮写千金方中。毎旦誦読以自戒也。夫孫真人世以為仙医。固応無所拘束。而有如斯戒律。則凡為医者。豈可不謹慎勉励邪。家大人直取以為我家医範。其有旨哉。恬今手鈔。以与信厚信重二児。爾輩謹守之。文化十五年戊寅人日、伊沢信恬記。」富士川本には此下に、「文政十一年三月念九日鼓常時謹写」と書してある。按ずるに孫思※[#「二点しんにょう+貌」、第3水準1−92−58]《そんしばく》は旧新唐書に伝がある。旧唐書に拠るに、歿年は高宗の永淳元年だとしてある。そして年齢が載せてない。癸酉の歳に廬照隣《ろせうりん》と云ふものが孫の家に寓してゐた。癸酉は高宗の咸享四年であらう。廬の聞いた所がかう記してある。「思※[#「二点しんにょう+貌」、第3水準1−92−58]自曰。開帝辛酉歳生。至今年九十三矣。」試に癸酉から九十三年溯つて見ると隋の開皇元年辛丑となるらしい。そして永淳元年には百零二歳であつた筈である。しかし「経月余、顔貌不改、挙屍
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