下候。去年|下宮大夫《しもみやたいふ》臥病の節は御上屋敷迄も御出之由、忙程之事出来候へば大慶也。追々脚力も復し可申やと奉存候。只私がごとくよりによりたる年浪は立帰る期《ご》なし。御憐察可被下候。」
「扨津軽屋へ約束いたし候院之荘之|古簾《ふるすだれ》、旧冬やう/\と得候故、船廻しに而《て》進《しんじ》候。御届可被下候。後醍醐帝御旅館|某《それがし》が家に、今簾をかけ候。これは須磨などに行在処《あんざいしよ》の跡とてかけ候を見及たるや。即備後三郎が詩を題せし所也。作州津山《さくしうつやまより》四五里|許《ばかり》有之所のよし、院之荘は其地名也。これは十四年前備前之人を頼置候。度々催促すれども得がたし/\と申而居候故、もはやくれぬ事かと思切ゐ申候処、去冬忽然と寄来候。作州より三十里川舟にて岡山へ参、夫より洋舟《なだふね》にて三十里、児島を廻る故遠し、笠岡てふ所へ参、そこより三里私宅へ参候へば、物は軽く候へども、世話は世話也。銭は一文もいらず候。此世話|計《ばかり》をかの十符《とふ》の菅菰《すがごも》之礼と被仰可被下候。」
「扨市野など不相替会合可有之遙想仕候。梧堂はいかが。杳然せうそこなし
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