過去帖に云く。「憐山院粛徳玄俊居士、信卿、瑞仙弟、京水父、同(寛政)九丁巳八月二日、寺町宗仙寺墓あり、六十歳。光嶽林明大姉、同人妻、京水母、宇野氏、天明六丙午、三十六歳。」即ち京水を以て錦橋の弟玄俊信卿の子、宇野氏の出《しゆつ》となすのである。
わたくしは此より進んで議論することを欲せない。言ふところの臆測に墜ちむことを恐るゝからである。わたくしの京水研究は且《しばら》く此に停止する。今わたくしの知り得た所を約記すれば下《しも》の如き文となる。
「池田京水、初の名は善直、後名は※[#「大/淵」、7巻−182−下−4]《いん》、字《あざな》は河澄《かちよう》、瑞英と称す。父は錦橋独美善卿、母は錦橋の側室某氏なり。天明六年大坂西堀江隆平橋南の家に生る。享和三年八月十二日十八歳にして廃嫡せらる。文政三年三月三十五歳にして分家す。天保七年十一月十四日病歿す。年五十一。一説に京水は錦橋の弟玄俊信卿の子なり。母は宇野氏。錦橋に養はれて嗣子となり、後廃せらる。」
その八十九
わたくしは此年文化十三年に池田錦橋の歿したことを書く次《ついで》に、曾て池田氏の事蹟を探討した経過を語つた。
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