る。梅嶽真英童子は直温の子洪之助である。此一諡だけは左側面に彫つてある。
改葬には二つの方法がある。古墓石を有形《ありがた》の儘に移すこともあり、又別に合墓を立つることもある。森|枳園《きゑん》一族の墓が目白より池袋に遷された如きは前法の例とすべく、池田宗家の墓が向島より谷中に遷された如きは後法の例とすべきである。彼の此に優ることは論を須《ま》たぬが、事は地積に関し費用に関するから、已むを得ずして後法に従ふこともある筈である。わたくしは池田宗家の諸墓が全く痕跡なきに至らなかつたのを喜ぶと同時に、其墓誌銘の佚亡を惜んで已まぬのである。
池田宗家の墓が谷中に徙《うつ》された時、分家京水の一族の墓は廃絶してしまつたらしい。
その八十八
池田氏宗家の末裔鑑三郎さんは、独りわたくしに宗家の墓の現在地を教へたのみではない。又わたくしに重要なる史料を※[#「目+示」、7巻−180−下−11]《しめ》した。わたくしは上《かみ》に云つた如く、直卿《ちよくけい》の撰んだ錦橋の行状、直温の撰んだ過去帖、富士川氏の記載、以上三つのものを使用することを得たに過ぎなかつた。然るにわたくしは鑑三
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