んめつ》したるより生ずるのである。わたくしは抽斎伝中に池田氏の事を叙するに当つて、下《しも》の史料を引用することを得た。一、二世池田瑞仙|直卿《ちよくけい》の撰んだ錦橋の行状。直卿は即村岡善次郎である。瑞仙は錦橋の通称で、後これを世襲した。二、池田氏過去帖。これは三世池田瑞仙|直温《ちよくをん》の自筆本で、池田氏の菩提所向島|嶺松寺《れいしようじ》に納めてあつたものである。わたくしは向島弘福寺主に請うて借閲し、副本を作つて置いた。三、富士川氏の手帳並日本医学史。手帳は富士川游さんが嶺松寺の墓誌銘に就いて抄録したものである。日本医学史には此抄録が用ゐてある。
 以上の史料の載する所は頗る不完全であつた。それゆゑわたくしは嶺松寺の墓石の行方を捜索した。墓誌の全文を見むがためである。しかしそれは徒労に帰した。嶺松寺の廃寺となるに当つて、墓石は処分せられた。此墓石の処分といふことは、明治以後盛に東京府下に行れ、今に至つて猶|熄《や》むことなく、金石文字は日々湮滅して行くのである。わたくしに此重大なる事実を知る機会を与へたものは、彼捜索である。
 抽斎伝を草し畢つた後、わたくしは池田宗家の末裔と
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