」履軒は当時八十歳、兄竹山を喪つてから十一年を経てゐた。茶山は六十八歳であつた。
茶山は神辺《かんなべ》に還つた後、「帰後入城途上」の作がある。「官駅三十五日程。鶯花随処逐春晴。今朝微雨家林路。筍※[#「竹かんむり/擧」、7巻−156−下−8]徐穿暗緑行。」頃は三月の末か四月の初であつただらう。
蘭軒は夏の初に長崎の劉夢沢《りうむたく》がために、其母の六十を寿する詩を作つた。「時節南薫好、開筵鶴浦干」云々の五律である。夢沢、名は大基、字《あざな》は君美《くんび》、既出の人物である。長崎通司にして劉姓なるものには、猶田能村竹田の文政九年に弔した劉梅泉と云ふものがある。「時梅泉歿後経数歳、有母仍在」と記してある。わたくしは母を寿した夢沢と母に先だつて死んだ梅泉とを較べて思つて見た。わたくしは此等の諸劉の上を知らむことを願つてゐる。長崎|舌人《ぜつじん》の事跡に精《くわ》しい人の教を得たい。
此年文化十二年五月に入つて、伊沢分家には又移居の事が起つた。これは蘭軒一族の存活上に、頗る重大なる意義があつたらしい。
勤向覚書にかう云つてある。「文化十二年乙亥五月七日、私儀是迄外宅仕罷在候所
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