二月春、島声花影午晴新」と云つてある。わたくしは只茶山の江戸を去つた時の二月なるを知つて、何日なるを知らない。「真野先生」は或は真野冬旭《まのとうきよく》か。
茶山の此旅には少くも同行者の紀行があつた筈である。一行の中には豊後の甲原《かふはら》玄寿があり、讚岐の臼杵《うすき》直卿があつた。玄寿、名は義、漁荘と号した。杵築《きつき》吉広村の医玄易の子である。直卿、名は古愚、通称は唯助、黙庵と号した。後牧氏に更《あらた》めた。此甲原臼杵二氏の外に、又伊勢の河崎良佐があつた。所謂《いはゆる》「驥※[#「亡/虫」、7巻−153−上−10]日記」を著した人である。後に茶山がこれに序した。大意はかうである。河崎は自ら※[#「亡/虫」、7巻−153−上−12]《ばう》に比して、我を驥にした。敢て当らぬが、主客の辞となして視れば差支なからう。しかし河崎がためには此路は熟路である。我は既に曾遊の跡を忘れてゐる。「則其尋名勝、訪故迹、問奇石、看異木、唯良佐之尾是視、則良佐固驥、而余之為※[#「亡/虫」、7巻−153−下−1]也再矣」と云ふのである。此記にして有らば、茶山の江戸を発した日を知ることが出来よ
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