日にして夭した。三女は今生れたものが即是である。名を長《ちやう》と云ふ。以上皆嫡出である。そして長が独り長育することを得た。勤向覚書に云く。「四月八日妻安産仕、女子出生仕候、依之御定式之血忌引仕候段御達申上候、同月十一日血忌引御免被仰付候、明十二日御番入仕候段御達申上候。」
此月二十一日蘭軒に金三百疋を賜つた。「霊台院様御病中出精相勤候に付」と云ふ賞賜である。上《かみ》に云つた如く、霊台院殿信誉自然現成大姉は津軽氏比佐子で、墓は浅草西福寺にある。比佐子夫人の事は岡田|吉顕《よしあき》さんに請うて阿部家の記録を検してもらつた。
その七十
此年文化十一年五月に菅茶山が又東役の命を受けた。行状に「十一年甲戌五月又召赴東都」と書してある。所謂《いはゆる》「七十老翁欲何求、復載※[#「さんずい+冗」、第4水準2−78−26]痾向武州」の旅である。紀行などもあるか知らぬが、わたくしの手元には只詩集があるのみである。五月になつてから命を承けたのではあるが、「午日諸子来餞」の午日は四日の初午であらう。「梅天初霽石榴紅、何限離情一酔中」の句に、節物が点出せられてゐる。
茶山は岡山、伊
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