足疾が愈《い》えたのではなかつたらしい。
蘭軒は此冬よりして漸く起行することが難渋になつた。躄《あしなへ》になりかかつたのである。其証拠をばわたくしが三年後の詩引中より見出だした。文化十三年の歳首の詩の引に、「丙子元日作、余今年四十、以脚疾不能起坐已三年」云々と云つてある。
蘭軒は医である。自らプログノジスの隻眼を具してゐる。嘗て茶山に「死なぬ疾《やまひ》」を報じたやうに、今又起行の期し難きを暁《さと》つたであらう。其胸臆を忖度《そんたく》すれば、真に愍むべきである。「病中口占。丈夫居世当雄飛。多病近来心事違。五十生涯三十七。数年贏得亦何為。」
その六十八
尋で此年文化十年の冬の詩中に、二三の留意すべき応酬がある。其一つは「酬真野冬旭見贈之作※[#「庚/貝」、第3水準1−92−25]韻」の七律である。頷聯の「元知郢国音難和、況復鳳雛毛有文」に父子が称へてあつて、三は冬旭の詩を言ひ、四は其子の書を言ふ。「其男善書、甫九歳」と自註してある。頸聯の「竜土烟霞連海気、神田草樹映城雲」は、わたくしをして冬旭が麻布竜土町辺に住んでゐたかを思はしめるが、さるにても神田は何故に点出
前へ
次へ
全1133ページ中227ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング