《たが》つた事のあつたらしい年である。何故かと云ふに、※[#「くさかんむり/姦」、7巻−127−上−13]斎《かんさい》詩集に壬申の詩が一首だに載せて無い。
わたくしは先づ蘭軒が病んだのではないかと疑つた。しかし勤向覚書を見るに、春より夏に至るまで、阿部家に於ける職務をば闕いてゐなかつたらしい。わたくしは姑《しばら》く未解決のままに此疑問を保留して置く。
正月二日に蘭軒の二女が生れて、八日に夭した。先霊名録に第二女として智貌童子の戒名が書してある。童子が童女の誤であるべきことは既に云つた。頃日《このごろ》聞く所に拠れば、夭折した長女は天津《てつ》で、次が此女であつたさうである。
勤向覚書に此一件の記事がある。「正月二日卯上刻妻出産仕、女子出生仕候間、御定式之通、血忌引仕候段御達申上候。同月四日血忌引御免被仰付候旨、山岡治左衛門殿被仰渡候。翌五日御番入仕候。同月八日此間出生仕候娘病気之処、養生不相叶申上刻死去仕候、七歳未満に付、御定式之通、三日之遠慮引仕候段御達申上候。同月十一日御番入仕候。」
五月に蘭軒が阿部家の職に服してゐた証に充つべき覚書の文は下《しも》の如くである。「五月
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