も競つて祭の練物《ねりもの》を看に出た。「昼四時霊巌島の出し練物永代橋の東詰まで来りし時、橋上の往来|駢※[#「門<眞」、第3水準1−93−54]《へんてん》群集の頃、真中より深川の方へよりたる所三間|許《ばかり》を踏崩したり。次第に崩れて、跡より来るものもいかにともする事ならず、いやが上に重りて落掛り水に溺る。」伊沢氏の乳母と夫とは、穉《をさな》い榛軒《しんけん》が泣いたために、此難を免れたのである。当時伊沢氏の子供は榛軒の棠助《たうすけ》が四歳、常三郎が三歳であつた。益は棠助を乳母に託して、自ら常三郎を養育してゐたのであらうか。
蘭軒は長崎から還つた。其日は八月二十日より後であつた。此時に当つて蘭軒を薦めて幕府の医官たらしめようとしたものがあつた。しかし蘭軒は阿部家を辞するに忍びぬと云つて応ぜなかつた。
※[#「くさかんむり/姦」、7巻−109−下−10]斎《かんさい》詩集には客崎《かくき》詩稿の次に、森|枳園《きゑん》の手迹と覚しき文字で文化四年丁卯以後と朱書してある。此処に秋冬の詩が三首あつて、此より春の詩に移る。春の詩の中には戊辰の干支を記したものがある。わたくしは姑《し
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