。無縁堂一の瀬八幡をすぎ長崎村桜の馬場新大工町馬町勝山町八百屋町を経て立山庁邸にいたり、午後寓舎に入る。此日暑甚し。行程三里|許《きよ》。」
 長崎奉行の役所は初め本博多町の寺沢志摩守広高が勤番屋敷址にあつた。これを森崎に移したのが寛永十年である。寛文十一年に至つて、岩原郷《いははらがう》立山に地を賜はり、延宝元年に新庁が造られた。これより立山を東役所、森崎を西役所と云ふ。曲淵《まがりぶち》は此立山庁邸に入つたのである。東役所址は今の諏訪公園の南麓県立女子師範学校の辺に当る。
 長崎紀行は此に終る。末に伊沢蘭軒の自署と印二顆とがある。白文は伊沢|信恬《のぶさだ》朱文は字澹父《あざなはたんふ》で、澹は水に従ふ字を用ゐてある。
 詩集には長崎に到つた時の作として、長崎二絶、港営《こうえい》、清商館《しんしやうくわん》、蘭商舘各一絶がある。長崎の一首と清商館の作とを此に録する。「長崎。隔歳分知両鎮台。満郷人戸有余財。繁華不減三都会。都頼年々舶商来。清商館。入門如到一殊郷。比屋通街居舶商。西土休誇文物美。逸書多在我東方。」鎮台は奉行である。逸書の七字は蘭軒の手に成つて殊に妙を覚える。
 此より
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