逢つた詩があつて、其引首と自註とを抄すれば下《しも》の如くである。「安藝頼千齢(名惟疆)西遊来長崎、訪余居、(以下自註、)其兄春水、余去年訪其家而初謁、其弟杏坪旧相識于東都、千齢今日方始面云」と云ふのである。是に由つて観れば、春水春風|杏坪《きやうへい》の三兄弟の中で、蘭軒が旧く江戸に於て相識つたのは杏坪だけである。只其時日が山陽の伊沢氏に来り投じたのと孰《いづれ》か先孰か後なるを詳《つまびらか》にすることが出来ない。次で蘭軒は文化三年に春水を広島の邸宅に往訪し、最後に四年に春風を長崎の客舎に引見したのである。春風の九州行は春水が「嗟吾志未死、同遊与夢謀、到処能報道、頼生已白頭」の句を贈つた旅である。
 しかしこれは蘭軒と頼氏|長仲季《ちやうちゆうき》との会見の時日である。その書信を通じた前後遅速は未だ審《つまびらか》にすることが出来ない。
 松雨山房の夜飲の時、蘭軒の春水に於けるは初見であるが、山陽は再会でなくてはならない。わたくしは初め卒《にはか》に紀行の此段を読んで、又|微《すこ》しく伊沢氏が曾て山陽を舎《やど》したと云ふ説を疑はうとした。それは「男子賛亦助談、子賛名襄、俗称久太
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