2−80−16]示嶺《ばうしれい》にいたる。(一[#(に)]坊寺《ばうじ》といひ一に牡牛といふ。)一本榎より此に至て我藩知に属す。土地清灑田野開闢溝渠相達して今年の旱《ひでり》に逢ふといへども田水乏きことなし。嶺を下て二里尾道駅なり。此駅海に浜して商賈富有諸州の船舸来て輻湊する地。人物家俗浪華の小なるもの也。今夜観音寺に詣拝するもの雑喧我本郷真光寺薬師詣拝の人のごとし。駅長の家は豊太閣薩摩をせむるとき留宿の家なりといふ。上段の画壁彩色金銀を用ふ綺麗にして古色なり。(細川幽斎九州道の記に備後の津公儀御座所に参上して十八日朝|鞆《とも》までこし侍るとあり。すなはち此尾の道に太閣の留宿するをいふなるべし。)余升屋半兵衛の家に宿す。初更後茶山神辺より来り其門人油屋元助の家に迎へて歓飲す。家居頗大一豪富賈なり。主人|名藉《なはせき》字《あざな》は元助《げんじよ》嘉樹堂といふ。好学《がくをこのみ》て雅致なり。品坐《ひんざ》劇談暁にいたりて二人に別る。此日|甚暑《じんしよ》にあらず。行程九里|許《きよ》。」
此所にも亦欄外に三件の考証があるが、其一は文字を截り去られて読むべからざるに至つてゐる。余
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