とは何事を斥《さ》して言つたか、知りたいものである。しかしわたくしは未だこれを窮むるよすがを得ない。
狩谷の橋梓《けうし》即望之懐之が辛巳西遊中、宮島に往つた後「いづかたいかなる遊《あそび》」をなしたか、茶山は聞きたいと云つてゐる。わたくしも今茶山と願を同じうしてゐる。しかし既に云つた如く、わたくしは只父子が奈良に遊んだことを知るのみである。茶山の口※[#「月+(勿/口)」、7巻−256−上−11]《こうふん》によつて考へて見れば、※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎父子の宮島の遊は計画のみに止まつたのではないらしい。書牘の文が茶山は既に宮島までの事を知つてゐて、其後の旅程を問ふやうに聞き取られるからである。
茶山の存問《そんもん》を受けた古庵は余語《よご》氏である。市川は恐くは市河であらう。若し然りとすると、米庵でなくてはならない。何故といふに寛斎は既に二年前に歿してゐるからである。成田氏は成章、鵜川氏は子醇である。梧堂は石田道である。鵜川は茶山に書を寄せたことが、原本の氏旁《しはう》に朱書してある。今これを括弧内に収めた。これに反して石田は茶山に無沙汰をしてゐる。「杳然寸耗なし」である。
蘭軒は十九歳になつた榛軒の詩を茶山に寄示《きし》した。榛軒詩存はわたくしは未だ細検せぬが、弘化三年以前の作を載せぬものかとおもはれる。それゆゑ茶山の目を驚かした詩は何の篇たるを知らない。茶山は又蘭軒の正側室の安を問うてゐる。「おさよの方」は故《もと》の称呼「おさよどの」に復してある。
「松島の画題」云々は何事なるを知らない。月日の下《もと》の括弧内数行は原本に朱書してある。
詩集にある春の作は既に引いた七首の外、猶六首があつて、わたくしは此に其中の二を挙げることゝする。それは病める蘭軒の情懐を窺ふに足るものと、榛軒柏軒二人の講余のすさびを知るべきものとである。
「余平常好自掃園、病脚数年、不復得然、即令家僮朝掃、時或不能如意、偶賦一絶。脚疾久忘官路煩。山※[#「譽」の「言」に代えて「車」、7巻−257−上−6]江艇興猶繁。但於閑事有遺恨。筅箒不能手掃園。」自ら園を掃くに慣れた蘭軒は人の掃くに慊《あきたら》なかつたのである。
「偶成。元識読書属戯嬉。両児猶是好無移。剰鋤菜圃多栽薬。方比乃翁増一痴。」薬艸を栽培することは蘭軒が為さなかつたのに、榛軒柏軒がこれに手を下した。嘉賞の意が嘲笑の語の中に蔵してある。
二詩の外猶「賀阿波某氏大孺人百歳」の一絶がある。しかし其女子の氏名を載せない。且其|辞《ことば》にもことさらに録すべきものが無い。
夏の詩は五首あるが、抄出すべきものを見ない。唯「夏日」に「愛看芭蕉長丈許、翠陰濃映架頭書」の句がある。他人にあつては何の奇も無かるべき語であつて、蘭軒にあつては人をして羨望して已まざらしむるものがある。
秋の詩も亦五首あつて、末の三首に冬の詩を連ねて森枳園が浄写してゐる。わたくしは渋江抽斎伝に枳園が癸未の年に始て蘭軒に従学したことを言つた。今その写す所の師の詩はこれに先《さきだ》つこと一年の作に係る。詩集の此|幾頁《いくけつ》は後年の補写と見るべきであらうか。或は抽斎と親善であつた枳園は、未だ贄《にへ》を執らざる時、既に蘭軒の家に出入して筆生の務に服したものと看るべきであらうか。此年枳園は十六歳であつた。
その百二十九
此年文政五年の秋の蘭軒の詩は、末の三首が森枳園の手写する所であると、わたくしは上《かみ》に云つた。其前に等間に看過すことの出来ぬ一首がある。「七月十三日作。奈何家計太寒酸。付与天公強自寛。千万謝言求債客。窃来窓下把書看。」蘭軒は此日債鬼に肉薄せられたのである。千万謝言の後、架上の書を抽《ぬ》いて読んだと云ふ、その灑々《しや/\》たる風度が、洵《まこと》に愛すべきである。
枳園の書した最初の詩は「熊板君実将帰東奥、臨別贈以一律。」と題してある。「君家先世称雄武。遺訓守淳猶混農。賑※[#「血+おおざと」、第4水準2−88−4]郷隣経奕葉。優游翰墨托高踪。自言真隠名何隠。人喚素封徳可封。遙想東帰秋爽日。恢然※[#「てへん+主」、第3水準1−84−73]笏対群峰。」
熊板は或は熊坂の誤ではなからうか。これはわたくしの手抄に係る五山堂詩話の文に依つて言ふのである。わたくしは偶《たま/\》その何巻なるを註せなかつたので、今|遽《にはか》に刊本の詩話を検することを得ない。其文はかうである。「東奥熊坂秀。字君実。号磐谷。家資巨万。累世好施。大父覇陵山人頗喜禅理。好誦蘇黄詩。至乃翁台州。嗜学益深。蔵書殆万巻。自称邑中文不識。海内知名之士。無不交投縞紵。磐谷能継箕裘。家声赫著。」蘭軒の贈言《ぞうげん》を得た人は其|字《あざな》を同じうし、其郷を同じうしてゐて、氏に熊字があ
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