十六七になりし寡婦御坐候にめあはせ、菅三と申姪孫生長迄の中継にいたし候積」と云つてある。行状を参照すれば、「二弟曰汝※[#「木+便」、第4水準2−15−14]、(中略)曰晋葆、(中略)無後、汝※[#「木+便」、第4水準2−15−14]亦夭、有子曰万年、(中略)亦夭、有子曰惟繩、称三郎、於先生為姪孫、今嗣菅氏、(中略)又延志摩人北条譲、為廉塾都講、以妹女井上氏妻焉」と云つてある。茶山は女姪《ぢよてつ》井上氏を以て霞亭に妻《めあは》せ、徐《しづか》に菅三万年《くわんさんまんねん》の長ずるを待たうとした。即ち「中継」である。
 茶山は前《さき》に久太郎を抑止しようとした時は後住《ごぢゆう》と云ひ、今譲四郎を拘係《くけい》しようとする時は仲継と云ふ。その俗簡を作るに臨んでも、字を下すこと的確動すべからざるものがある。わたくしは其印象の鮮明にして、銭《ぜに》の新に模《ぼ》を出でたるが如くなるを見て、いまさらのやうに茶山の天成の文人であつたことを思ふのである。
 北条霞亭よりして外、茶山の此書は今一人の新人物を蘭軒に紹介してゐる。それは女である。「尾道女画史」豊《とよ》である。
 蘭軒の姉、黒田家の奥女中|幾勢《きせ》は茶山に餞《はなむけ》をした。所謂《いはゆる》餞は前に引いた短簡に見えてゐる茶碗かも知れない。わたくしは此餞を云々した条《くだり》の下《しも》に、不明な七字があると云つた。此所には蠧蝕《としよく》は無い。読み難いのは茶山の艸体である。蘭軒の姉は彼餞以外に別に何物をか茶山に贈つた。茶山は帰後時々それを用《も》つて興を添へると云つてゐる。其物は「金柚」と書してある如くである。柚は橘柚《きついう》か。果して然らば疑問は本草の疑問である。兎に角茶山は此種々の贈遺に酬いむと欲した。茶山は嘗て豊が絵を幾勢に与へたことがある。そこで「御入用候はばまたさし上可申」と云ふのである。

     その八十

 菅茶山は嘗て蘭軒の姉|幾勢《きせ》に尾道の女画史《ぢよぐわし》豊《とよ》が画を贈つたことがあつて、今又重て贈るべしや否やを問うてゐる。豊とは何人であらうか。
 わたくしは豊は玉蘊《ぎよくうん》の名ではないかと推測した。竹田荘師友画録にかう云つてある。「玉蘊。平田氏。尾路人。売画養其母。名聞于時。居処多種鉄蕉。扁其屋曰鳳尾蕉軒。画出於京派。専写生※[#「令+栩のつくり」、第3水準1−90−30]毛花卉。用筆設色倶妍麗。又画人物。観関壮穆像。頗雄偉。女史阿箏語予曰。玉蘊容姿※[#「梟」の「木」に代えて「衣」、第3水準1−91−74]娜。其指繊而秀。如削玉肪。其画之妙宜哉。常愛古鏡。襲蔵十数枚。茶山杏坪諸老及山陽各有題贈。」竹田は氏を書して名を書せない。しかし茶山集に「玉蘊女画史」と称してゐるのを見て、柬牘《かんどく》の尾道女画史におもひくらべ、玉蘊の平田豊なるべきを推測したのである。
 わたくしは師友画録を読んで、今一つ推測を逞しうした。それは玉蘊は或は草香孟慎《くさかまうしん》の族ではなからうかと云ふことである。竹田の記する所に拠れば、玉蘊は居る所に※[#「匚<扁」、第4水準2−3−48]して鳳尾蕉軒《ほうびせうけん》と曰つたさうである。然るに頼春水の集壬子の詩に、「春尽過尾路題草香生鳳尾蕉軒」の絶句がある。玉蘊と孟慎とは、同じく尾道の人であつて、皆鳳尾蕉軒に棲んでゐた。若し居る所が偶《たま/\》其名を同じうするのでないとすると、二人の間に縁故があるとも看られるのである。
 此段を書し畢《をは》つた後に、わたくしは林中将太郎さんの蔵する玉蘊の画幅に「平田氏之女豊」の印があることを聞いた。玉蘊の名は果して豊であつた。次でわたくしは茶山集中に「草香孟慎墓」の五律があるのを見出した。其七八に「遺編托女甥、猶足慰竜鍾」とある。女甥《ぢよせい》は豊ではなからうか。
 茶山は此書を作るに当つて、蘭軒の親族のために一々言ふ所があつた。
 先づ榛軒がためには、父蘭軒に子を教ふる法を説いてゐる。「たんと御叱被成まじく候。あまりはやく成就いたさぬ様に御したて可被成候。」至言である。茶山は十二歳の棠助《たうすけ》のためにこれを発した。
 飯田氏|益《ます》に対しては、茶山は謝辞を反復して悃※[#「肄」の「聿」に代えて「欠」、第3水準1−86−31]《こんくわん》を尽してゐる。江戸を発する前に、まのあたり告別することを得なかつたと見える。
 側室さよに対しては、「さしつかひ候御せわ」を謝し、又「御すこやかに御せわなさるべく」と嘱してゐる。前の世話は客を※[#「肄」の「聿」に代えて「欠」、第3水準1−86−31]待する謂《いひ》、後の世話は善く主人を視る謂である。「さしつかひ候」は耳に疎《うと》い感がある。或は当時の語か。
「麻布令兄様御女子御両処へ宜奉願上候。」此
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