。
「正月元日。晴。」此日の記事中「春雄来」の句がある。春雄は森枳園の子約之の維新後の称なることが其墓表に由つて証せられる。時に約之は三十七歳であつた。「六日。晴。」「七日。晴。」此二日の間に、棠軒は四十二家を廻礼してゐる。其中酒を饗した家が八軒で、其一は関藤藤陰《せきとうとういん》の家である。
「十七日。(二月。)雨。夕晴。慧※[#「王+隣のつくり」、第3水準1−88−25]童女《ゑりんどうによ》七回忌、得悟童子来廿八日三回忌之処取越、法事執行、今日|※[#「二点しんにょう+台」、第3水準1−92−53]夜《たいや》也。大賢尼来読経。」按ずるに慧※[#「王+隣のつくり」、第3水準1−88−25]は棠軒の女|信《のぶ》の法諡《はふし》である。信は慶応紀元二月十八日に夭した。※[#「二点しんにょう+台」、第3水準1−92−53]夜は原《もと》荼毘《だび》前夜であるが、俗間には法要の前夜を謂ふ。此には後の義に用ゐてある。得悟は棠軒の子紋二郎の法諡である。紋二郎の夭折は、軍行日録に徴するに、戊辰の三月であつた。そして記事に其日を佚してゐた。今本文に由つてその戊辰二月二十八日に夭したことを知るべきである。
「七日。(四月。)晴。棠軒と改名願書差出す。尤《もつとも》当用内田養三取計。」所謂改名は道号を以て通称としようとしたのであらう。春安|信淳《のぶきよ》には棠軒、小棠軒、谷軒《こくけん》、尚軒、芋二庵《うじあん》の諸号があつた。以上は歴世略伝の載する所である。又|海紅《かいこう》の号があつたらしい。軍行日録に「海紅主人伊沢春安」と署してある。
「八日。陰。午後吉田へ会合。主人、貞白及小島金八郎並に尚《ひさし》同伴、山《やま》六|船《ぶね》に而《て》讚岐|金刀比羅宮《ことひらのみや》参詣。夜四時過乗船、夜半出船。尤同日安石より御届取計。」棠軒は福山を発して讚岐|象頭山《ざうづさん》に向つたのである。一行凡五人であつた。吉田の主人《あるじ》は洞谷であらう。貞白は石川氏である。小島金八郎は戊辰席順に「料」の肩書がある。恐くは料理人であらう。年は辛未三十歳であつた。尚は小字《せうじ》誠之助、飯田氏の嗣子である。棠軒は発するに臨んで、飯田安石をして県庁に稟《まう》さしめた。
「九日。晴。暮六時多度津へ著船。夫より乗馬に而|御山《みやま》迄行。時《ときに》三更前|鞆屋《ともや》久右衛門に一泊。」
「十日。晴。朝登山。鞆久《ともきう》に而午飯之上乗船、初更頃出帆。」
「十一日。雨。午後八半時過著船。夜六半時頃帰宅。」公私略の記事は此に終る。此より下《しも》は日録を抄することを得るのみで、復《また》公私略を参照することを得ない。
その三百五十四
明治辛未四月十一日後の棠軒日録を続抄する。
「廿六日。晴。関藤《せきとう》へ行。政太郎病死之悔。」わたくしは関藤藤陰の詳伝を知らない。しかし其長子政太郎は、文化四年生れの藤陰が蜷川《になかは》氏を娶《めと》つて、弘化三年四十歳の時にまうけたものである。明治二年の席順には「二百石、御足百石、関藤文兵衛、六十三」と云ひ、「十二石、関藤政太郎、廿三」と云つてある。辛未に政太郎が早世したとすると、其|齢《よはひ》は二十五歳で、父の六十五歳の時に終つたのである。阪谷朗廬《さかたにらうろ》撰の墓誌には、「配蜷川氏、先歿、有二男、長曰政太郎、成立受譲継家、不幸早世、次子亦先夭」と云つてある。然らば藤陰は当時既に致仕して、政太郎は戸主となつてゐたのである。
「十三日。(五月。)晴。午後微雨。関帝祭祀。安石夫婦来|割烹《かつぱうす》。」関帝を祭ることは、維新後にも未だ廃せられずにゐた。飯田安石と其妻とが来て庖厨の事を掌《つかさど》つた。
「晦日。晴。柏《かえ》飯田へ行。」曾能子刀自は猶柏と称してゐた。飯田は安石の家である。
「三日。(六月。)土用入。晴。午後微雨。森春雄今暁病死之由申来る。」森枳園立之の子約之である。年は三十七になつてゐた。浜野氏は頃日《このごろ》福山賢忠寺の墓を訪うた。「文定院斉穆元信居士、明治四年未六月三日、森春雄約之墓」と刻してあるさうである。
「六日。晴。夕森へ悔行《くやみにゆく》。」子を喪つた枳園夫妻を訪うたのである。
「三日。(七月。)岡山より姉君遺物到来。」前年九月八日に歿した棠軒の姉があつた事は上《かみ》に見えてゐる。
「四日。晴。驟雨雷鳴。於会計六箇月分扶持銀受取。札三貫四百十六匁四分也。」当時棠軒の受けた俸銭である。
「十五日。雨。朝より晴。盆踊瞥見。」猶盆踊の俗が廃《すた》れずにゐた。
「十九日。雨。此日祖母一週忌|※[#「二点しんにょう+台」、第3水準1−92−53]夜《たいや》也。」祖母とは誰か。文政十二年二月五日に歿した蘭軒の妻飯田氏|益《ます》にあらざることは明であ
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