填《うづ》めてゐる。わたくしは此書の刊行せらるべきシヤンスは、※[#「くさかんむり/姦」、8巻−159−上−3]斎《かんさい》詩集に比して更に小なるを知るが故に、今序の全文を抄出する。
「先師榛軒先生。刀圭之暇。毎遇心愉而意会。輒発之声詩。其所吟詠頗多。而未曾留稿也。孫在塾日。或得之侍坐之傾聴。或得之壁上之漫題。或得之扇頭紙尾。或得之同門諸子之伝誦。随得随録。無復次第。積年之久。得百有余首。今茲安政戊午十一月十六日。実当先生七回忌辰矣。追憶往事。宛然在目。殆不勝懐旧之歎也。乃浄写為一冊。私名曰榛軒詩存。雖未足為全豹。亦足以窺先生風騒之一斑也已。嗚呼先生不欲存。而孫存之。縦令得罪于地下。亦所不敢辞也。其巻末存余紙者。以備続得云。安政五年歳次戊午仲冬之月。清川孫誌。」
文中に「孫」と称し、末に「清川孫誌」と署してある。清川安策、名は孫《そん》であつた。
「先生不欲存。而孫存之。」門人の師の書に序する文には、多くこれに類する語を見る。しかし其語は他書にあつては矯飾に過ぎぬが、此榛軒詩存にあつては真実である。
所謂「巻末存余紙」の余紙《よし》は九|頁《けつ》あつて、別に清川の序の後に空白六頁がある。恐くは諸友の題言を求めむと欲したものであらう。紙は医心方を写さむがために特製した烏糸欄紙《うしらんし》である。
「随得随録。無復次第。」是も亦往々他書の序跋中に見ることのある語である。しかし書を著すものは故《ことさら》に審美学者の所謂無秩序中の秩序を求め、参差《さんし》錯落の趣を成して置きながら、這般《しやはん》の語を以て人を欺くのである。惟《たゞ》清川の此八字は実録である。巻首の詩は嘉永四年辛亥元旦の作、巻尾の詩は天保元年庚寅三月|晦《くわい》の作で、二者の中間にも亦絶て安排の痕を見ない。その年月を知るべきものは、百四十七首中六十二首あるのみである。
此書には詩引に二十一人の名が見えてゐて、其過半は氏名を明にすることが出来る。多くは蘭門若くは榛門の子弟である。其他儒に渡辺|樵山《せうざん》があり、歌人に木村|定良《さだよし》がある。わたくしは上《かみ》に樵山の事を記した後、其父の誰なると其生誕の何年なるとを知ることを得た。慊堂《かうだう》日歴文政六年の下《もと》に渡辺|※[#「くさかんむり/衡」、第3水準1−91−39]園《かうゑん》の二子を挙げて、「魯助三歳、百助一歳」
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