(匚<(たてぼう+「亞」の中央部分右側))」、第4水準2−86−13]庭先生の発会の日に当つて、飲酒量を踰《こ》え、無用の言説を弄した。信重は霊枢を引いてわたくしを諫めてくれた。わたくしは其切直の言を聞いて、始て信重が志操の疇昔に殊なるを知つた。之子《このし》の前途にはもはや憂慮すべきものが無い。わたくしは諸君と共に刮目して他年の成功を待たうとおもふ。
 柏軒はこれを聞いて、汗出でて背《そびら》に浹《とほ》つた。此日の燕集が何のために催されたかは、その毫も測り知らざる所であつた。柏軒は此より節を折つて書を読んだと云ふのである。
 柏軒は後|屡《しば/″\》人に語つて、「己は少《わか》い時無頼漢であつた」と云つた。志気豪邁にして往々細節を顧みなかつたのださうである。然るに一朝|擢《ぬきん》でられて幕府の医官となり、法眼に叙せられ、閣老阿部正弘の大患に罹るに及んでは、単身これが治療に任じ、外間謗議の衝に当つた。全く是れ榛軒が激※[#「厂+萬」、第3水準1−14−84]《げきれい》の賜であつた。
 此事は独り松田氏が聞き伝へてゐるのみではなく、渋江保さんの如きも母|五百《いほ》に聞いて知つてゐる。しかしその何《いづ》れの年にあつたかを詳《つまびらか》にしない。或は蘭軒歿後の事だとも云ふ。わたくしは敢て其時を推窮して戊子の正月とした。按ずるに蘭軒の歿前一二年間の事は、口碑に往々伝へて歿後の事とせられてゐる。彼榛軒|合※[#「丞/巳」、7巻−359−上−9]《がふきん》の時の如きもさうである。榛軒が弟を激※[#「厂+萬」、第3水準1−14−84]した時も亦此類ではなからうか。
 然らばわたくしが戊子とするのは何に拠るか。わたくしは霊枢の文に就いて考ふるのである。柏軒は兄を諫むるに霊枢の「陰陽二十五人篇」を引いた。二十五人とは金木水火土の五形を立し、其五色を別つて二十五人とする。木形に上角《しやうかく》、大角、左角、※[#「金+大」、第3水準1−93−3]角《ていかく》、判角あり、火形に上徴《しやうちよう》、質徴、少徴、右徴、質判《しつはん》あり、土形に上宮《しやうきゆう》、大宮、加宮、少宮、左宮あり、金形に上商《しやうしやう》、※[#「金+大」、第3水準1−93−3]商《ていしやう》、左商、大商、少商あり、水形に上羽《しやうう》、大羽、少羽、衆、桎《ちつ》がある。西洋の古い病
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