召、とかく御|保重《ほぢゆう》専一に候。必々耳をとめて御きき可被下候。令郎がた次第に御成立推量仕候。凡《すべて》令内様令郎二位へ宜奉願上候。直卿《ちよくけい》はなしにて聞けば、詩会連月打つづき、風流御境界之由羨敷奉存候。六右衛門古庵様折ふし見え候半《さふらはむ》と推察仕候。御次《おんついで》に宜奉願上候。市川はいかが、折ふし参られ候哉、近比杳然に候。宜奉願上候。年内つくり候一首、歳首二章|汚電候《をでんしそろ》。御一笑可被下候。これは直卿参り候はば御見せ可被下候。見せよと申参候。石田町の内へ移居のよし、隠者もさびしきものと見え候。書状御届奉願上候。玄間兄弟へ宜奉願上候。一々書状遣候ても、多用の人を攪撩《かくれう》いたし候半と存さしひかへ申候。いはぬはいふにいやまさると申こと御つたへ可被下候。服部兄いかが、今は劇職のよし、たび/\見え申まじく候。参られ候はば宜奉願上候。かへす/″\も令郎様へ宜御申可被下候。月事《げつじ》の姫へも。」
紙上自筆の文字を見るに、茶山は未だ必ずしも尺牘を作るに人を倩《やと》はなくてはならぬ程衰へてはゐなかつた。只新年を賀する書を作らうとおもひ立つアンピユルシイウな力に乏しかつたものと見える。さて人に書かせて見れば、それに満足することは出来なかつた。茶山は本文に数倍する細註を加へた。
此書に添へた前年丙戌の詩はいづれの詩なることを知らない。歳首の二篇は集に「元日二首、丁亥」と題する作で、上《かみ》にわたくしの句を摘んだものと同じである。
その百七十六
菅茶山の丁亥歳首の書には、蘭軒の家族四人を除く外八人の名が見えてゐる。茶山は蘭軒の妻益、其子榛軒柏軒を筆に上《のぼ》せて、単に「宜奉顧上候」と云ふに過ぎぬが、其中榛柏二子の名をば三たびまで書して慇懃を極めてゐる。且其成長の状を想ふとも云つてゐる。最奇とすべきは書中に所謂「月事の姫」である。按ずるに是は蘭軒の女《ぢよ》長《ちやう》を斥《さ》して言つたものである。父蘭軒は前に書を茶山に寄せた時、何かの次《ついで》に長が身上に説き及んで、天癸《てんき》の新に至つたことを告げたのであらう。長は是年十四であつた。
他の八人中先出でてゐるものは第一、牧黙庵《まきもくあん》の「直卿」である。黙庵は当時江戸にゐた。そして書を茶山に寄せて丙戌以後蘭軒が頻に詩会を催して少年子弟を誘掖することを
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