て原文と諸家の文とが混淆した。多紀※[#「くさかんむり/(匚<(たてぼう+「亞」の中央部分右側))」、第4水準2−86−13]庭《たきさいてい》は「爾後転輾附益非一、而旧経之文、竟併合于諸家書中、無復専本之能伝于後矣」と云つてゐる。即ち専本《せんほん》が亡びたのである。
 諸家の増益は端《たん》を梁の武帝の時に成つた陶隠居の集註に発《ひら》き、次で唐の高宗の顕慶中に蘇敬の新修本草が成つた。又唐本草とも云ふ。是は七世紀の書である。
 次に宋の宣宗の元祐中に唐慎微《たうしんび》の撰んだ証類本草《しようるゐほんざう》がある。是は十一世紀の書である。
 次に徽宗の大観二年に艾晟《かいせい》の序した大観本草がある。又大全本草とも云ふ。是が十二世紀の書である。
 次に南宋神宗の嘉泰中に成つた重修本草《ちようしうほんざう》がある。是が十三世紀の書である。
 且此等の書は一も原形を保存することを得ずして、唐の書は宋人に刪改《さんかい》せられ、北宋の書は南宋人に、南宋の書は金元明人に改刪せられた。
 明の万暦丙午に至つて李時珍《りじちん》の本草綱目が成つた。是が十七世紀の書である。
 凡そ此等の書の中には、初め古《いにしへ》の本草経が包含せられてゐた。しかし其一部分は妄《みだり》に刪《けづ》られて亡びた。唯他の一部分が※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]蘭《けいらん》の雑草中に存ずるが如くに存じてゐる。そして其前後の次第さへ転倒せられてゐる。
 此混淆|糅雑《じうざつ》は固より歴代の学者が意識して敢て為したのでは無い。故に右の諸書には初め朱墨の文が分つてあり、後尚白墨の文が分つてあつた。惜むらくは其赤黒と白黒とが互に錯誤を来して、復辨ずべからざるに至つたのである。
 然るに唐以前の本草の旧を存ぜんと欲し、乃至唐以前の本草の旧に復せんと欲したものも亦絶無ではない。わたくしの談は此より古本草復活の問題に入るのである。

     その百六十四

 此年文政七年十月十三日に蘭軒は本草経竟宴の詩を賦した。わたくしはその講ずる所の本草経のいかなる書なるかを究《きは》めむと欲して、先づ古《いにしへ》の本草経の復専本《またせんぽん》を存ぜざることを言つた。それは原文が後人補益の文と交錯して辨別し難きに至つたのである。
 専本は既に亡びた。しかし猶唐以前の旧を存ぜむと欲し、又唐以前の
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