此年文政七年に春の詩四首を得た。前に載せた元日の二首の次には「早春偶成」と例の「豆日草堂集」とがある。わたくしは唯此に由つて蘭軒が甲申の正月元日にも又友を会して詩を賦したことを知るのみである。
 神辺《かんなべ》では菅茶山が人日《じんじつ》に藩士数人を集《つど》へて詩を賦した。「客迎英俊是人日、暦入春韶徒馬齢」の一聯がある。茶山の春初の詩は頗多い。前に出した阿部正精の辞職の詩に次韻した九首も其中にある。
 正月十九日に正精は丸山より小川町の本邸に徙《うつ》つた。蘭軒は旧に依つて丸山に留まつた。
 三月十六日には、勤向覚書に下《しも》の記事がある。「若殿様御額直御袖留為御祝儀、両殿様え組合目録を以て御肴一種づつ奉差上候。」若殿様は寛三郎|正寧《まさやす》である。
 四月には「首夏近巷買宅、以代小墅」の詩がある。「巷東小築別開園。樹接隣叢緑影繁。半日清間纔領得。紅塵場裏亦桃源。」家計に些《ちと》の余裕があつたものか。宅を買ふと云ふより見れば、阿部邸の外の町家《まちや》であらう。
 蘭軒は此夏|啻《たゞ》に別宅を設けたばかりでなく、避暑の旅をもしたらしい。その何《いづ》れの地に往つたかは、今考ふることが出来ぬが、「山館避暑」、「門外追涼」の二詩は蘭軒の某山中にあつたことを証する。「山館避暑。行追碧澗入山逕。垂柳門前有小橋。素練一条懸瀑水。緑天十畝植芭蕉。竹窓安硯池常沢。苔石煮茶鼎忽潮。即是羲皇人不遠。松風無復点塵飄。門外追涼。烟暮山光遠。月升樹影長。新涼身自快。迂路歩相忘。虫語莎叢寂。鷺驚荷沼香。時逢村女子。数隊踏歌行。」門外の山館門外なることは疑を容れない。わたくしの二詩を併せ録する所以《ゆゑん》である。
 わたくしは此より月日不詳の夏の詩の遺れるを拾はうとおもふ。しかし勤向覚書に、これに先《さきだ》つて書すべき一条がある。それは嫡子榛軒が父に賜はつた服を著ることを許された事である。「五月三日左之願書付、相触流玄順を以、大御目付稲生伝右衛門殿え差出候処、今日角右衛門殿差出され候処、御受取被置、同七日願之通勝手次第と被仰付候。口上之覚。私拝領仕候御紋付類、悴良安え著用為仕度奉願上候以上。五月三日。伊沢辞安。但糊入半切認、上包半紙折懸、上に名。」
 集中には夏の詩が凡《おほよそ》六首ある。其中別宅の事を言ふ一首と避暑の事を言ふ二首とは既に上《かみ》に見えてゐる。剰《あま》す
前へ 次へ
全567ページ中250ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング