した。嘉賞の意が嘲笑の語の中に蔵してある。
二詩の外猶「賀阿波某氏大孺人百歳」の一絶がある。しかし其女子の氏名を載せない。且其|辞《ことば》にもことさらに録すべきものが無い。
夏の詩は五首あるが、抄出すべきものを見ない。唯「夏日」に「愛看芭蕉長丈許、翠陰濃映架頭書」の句がある。他人にあつては何の奇も無かるべき語であつて、蘭軒にあつては人をして羨望して已まざらしむるものがある。
秋の詩も亦五首あつて、末の三首に冬の詩を連ねて森枳園が浄写してゐる。わたくしは渋江抽斎伝に枳園が癸未の年に始て蘭軒に従学したことを言つた。今その写す所の師の詩はこれに先《さきだ》つこと一年の作に係る。詩集の此|幾頁《いくけつ》は後年の補写と見るべきであらうか。或は抽斎と親善であつた枳園は、未だ贄《にへ》を執らざる時、既に蘭軒の家に出入して筆生の務に服したものと看るべきであらうか。此年枳園は十六歳であつた。
その百二十九
此年文政五年の秋の蘭軒の詩は、末の三首が森枳園の手写する所であると、わたくしは上《かみ》に云つた。其前に等間に看過すことの出来ぬ一首がある。「七月十三日作。奈何家計太寒酸。付与天公強自寛。千万謝言求債客。窃来窓下把書看。」蘭軒は此日債鬼に肉薄せられたのである。千万謝言の後、架上の書を抽《ぬ》いて読んだと云ふ、その灑々《しや/\》たる風度が、洵《まこと》に愛すべきである。
枳園の書した最初の詩は「熊板君実将帰東奥、臨別贈以一律。」と題してある。「君家先世称雄武。遺訓守淳猶混農。賑※[#「血+おおざと」、第4水準2−88−4]郷隣経奕葉。優游翰墨托高踪。自言真隠名何隠。人喚素封徳可封。遙想東帰秋爽日。恢然※[#「てへん+主」、第3水準1−84−73]笏対群峰。」
熊板は或は熊坂の誤ではなからうか。これはわたくしの手抄に係る五山堂詩話の文に依つて言ふのである。わたくしは偶《たま/\》その何巻なるを註せなかつたので、今|遽《にはか》に刊本の詩話を検することを得ない。其文はかうである。「東奥熊坂秀。字君実。号磐谷。家資巨万。累世好施。大父覇陵山人頗喜禅理。好誦蘇黄詩。至乃翁台州。嗜学益深。蔵書殆万巻。自称邑中文不識。海内知名之士。無不交投縞紵。磐谷能継箕裘。家声赫著。」蘭軒の贈言《ぞうげん》を得た人は其|字《あざな》を同じうし、其郷を同じうしてゐて、氏に熊字があ
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