文がある。柏軒は辛巳中例の如く勉学を怠らなかつたのである。
 三月四日に蘭軒は向島へ花見に往つた。「上巳後一日早行、墨田川看花、帰時日景猶午、与横田万年同賦」として五絶がある。横田万年は門人宗禎であらうか。又は其父宗春であらうか。門人録横田氏の下《もと》には十の字内藤と註してある。十の字内藤とは信濃国高遠の城主たる内藤氏で、当時の当主は大和守|頼寧《よりやす》であつた。初めわたくしは十の字内藤の何れの家なるを知らなかつたが、牛込の秋荘《しうさう》さんが手書して教へてくれた。詩は此に末の一首を録する。「看花宜在早朝清。露未全晞塵未生。一賞吾将帰艇去。俗人漸々幾群行。」
 茶山は此歳首に書を蘭軒に寄せずに、三月九日に至つて始て問安した。其書は文淵堂所蔵の花天月地中に収められてゐる。
「今歳《こんさい》は歳始の書もいまだ差上不申哉。老衰こゝに至り候。御憐察可被下候。又御一笑可被下候。吾兄愈御達者、合家《がふか》御清祥は時々承候。拙家も無事に御座候。御放念可被下候。ことしの春も昔の如くに過候。かくて七十五にも相成候。前路おもふべし。」
「市野篤実北条を動かし候由、奇と可申候。狩谷は橋梓《けうし》ともにさだめて依旧候覧《きうによりそろらむ》。ことしは西遊はなきや。御次《おんついで》に宜奉願上候。去年宮島よりいづかたいかなる遊びに候ひしや承度候。さて御次に古庵様市川子成田鵜川(近得一書未報)諸君へ宜奉願上候。梧堂は杳然《えうぜん》寸耗《すんばう》なし。いまだ東都に候哉。もはや帰郷に候哉。もしゐられ候はば宜御申可被下候。松島の画題は届候哉。種々旧遊憶出候而御なつかしく奉存候。御内上様《おんうちうへさま》おさよどのへも御次に宜奉願上候。妻も宜申上よと申候。恐惶謹言。三月九日。(正月二日|祁寒《きかん》、硯に生冰《こほりをしやうず》。そののち尋常。花朝前《くわてうぜん》一夕雷雨めづらしく、二月廿三日小地震、三月八日亦小地震。其外なにごともなし。)菅太中晋帥。伊沢辞安様。」
「令郎様高作驚目申候。実底に御読書あれかしと奉存候。才子は浮躁なりやすきものに候。」

     その百二十八

 菅茶山が「かくて七十五にも相成候」と書した此年壬午三月九日の書牘にも、例の如く許多《あまた》の人名が見えてゐる。しかし此度は新しい名字は無い。
 市野迷庵の質愨《しつかく》が能く北条霞亭を感動せしめた
前へ 次へ
全567ページ中208ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング