76]斎の此書牘には、千載の後に墓を訪はれた小野妹子の子、毛野の父毛人よりして外、五人の人物が出てゐる。第一は※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の子懐之である。
※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎は此旅に倅懐之を連れて行つた。「総而木曾の山水豚児輩感心仕候」と云つてある。「豚児」懐之は此年十八歳であつた。※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の始て京に上つたのが寛政二年十六歳であつたとすると、懐之の初旅は遅るること二歳であつた。
第二は※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎に神亀の古碑を見せた上野の人長尾春斎である。「草屋の弟子」と註してある。世間若し草屋春斎の師弟を知つた人があるなら、敢て教を請ふ。
第三は福井榕亭である。名は需、字《あざな》は光亨《くわうかう》、一の字は終吉《しゆうきつ》、楓亭の子にして衣笠《いりつ》の兄である。榕亭は前年庚辰に※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎が何事をか交渉した時、すげない返事をした。しかし今親く訪はれては、厚遇せざることを得なかつた。そして前年の事をば「途中之間違」として謝した。※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の書牘には榕亭の第宅《ていたく》庭園が細叙してある。その結構には詩人の所謂|堆※[#「土へん+朶」、第3水準1−15−42]《たいた》の病がある。「僕など三日も右之家に居候ものならば、大病に相成候事相違有之まじく被存候。」説き得て痛切を極めてゐる。わたくしなども此種の家に住んでゐる人二三を知つてゐる。それゆゑ※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の書を読んで、わたくしの胸は直ちにレゾナンスを起すのである。兎に角※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の筆に由つて、福井丹波守の懐かしくない一面が伝へられたのは、笑止である。
第四は※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎が木曾の俳句「今朝抜た綿ではないか谷ざくら」を見せようとした松宇である。蘭軒集中に出てゐる真野松宇であらう。第五は※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎が八瀬小原の狂歌を見せようとした皆川である。蘭軒集中に出てゐる皆川|叔茂《しゆくも》であらう。此に藉《よ》つて松宇には俳趣味、叔茂には狂歌趣味のあつたことが推せられる。わたくしは此に今一つ言つて置きたい事がある。それは八瀬小原の
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