には窺ふことを得なかつたのである。そしてその偶《たま/\》鈔写することを得たものは、至宝として人に誇つた。それは下《しも》の如きわけである。
 六朝から李唐に至る間、医書の猶存するものは指を※[#「てへん+婁」、7巻−218−下−5]《かゞな》ふるに過ぎない。然るに隋唐経籍志に就いて検すれば、佚亡の書の甚多いことが知られる。それゆゑせめては間接に此時代の事を知らうといふ願望が生ずる。これは独り医家を然りとするのみでは無い。考古学者と雖亦同じである。
 幸に外台秘要《ぐわいたいひえう》と云ふ書がある。唐の王※[#「壽/れっか」、第3水準1−87−65]《わうたう》の著す所である。※[#「壽/れっか」、第3水準1−87−65]は珪の孫で、新唐書王珪の伝の末に数行の記載がある。此書は引用する所が頗《すこぶる》広いので、文献の闕を補ふに足るものである。只憾むらくは宋代の校定を経来り、所々字句を改易せられてゐる。新唐書に拠れば、「討繹精明、世宝焉」と云つてあつて、当時既に貴重の書であつた。宋人の妄《みだり》に変改を加へたのは慮《おもんぱかり》の足らなかつたものである。題号の外台は、徐春甫が「天宝中出守大寧、故以外台名其書」と云つた。これは朝野類要の「安撫転運、提刑提挙、実分御史之権、亦似漢繍衣之義、而代天子巡狩也、故曰外台」と云ふと同じく、外台を以て地方官の義となしたのである。しかし※[#「壽/れっか」、第3水準1−87−65]は自序に、「両拝東掖、便繁台閣二十余歳、久知弘文館図書方書等、※[#「鷂のへん+系」、第3水準1−90−20]是覩奥升堂、皆探秘要云」と云つてある。是に由つて観れば、魏志王粛伝の註に薛夏《せつか》の語を引いて、「蘭台為外台、秘書為内閣、台閣一也」と云ふが如く、所謂外台は即台閣ではなからうか。これは多紀桂山の考証である。
 外台秘要が既に旧面目を存せぬとすると、学者は何に縁《よ》つて李唐以上の事を窮めようぞ。只一の医心方あるのみである。蘭軒はかう云つてゐる。「康頼編此書。其所引用百余家。皆六朝及唐代之書。而且有経籍志不録者。王氏書不載者数十家。而其見存之書。亦体裁字句。間有大異。按皇朝往昔。通信使於唐国。留学之徒。相継不絶。二百有余年。而所齎来載籍。即当時之鈔本。所直得於宮庫或学士。非如趙宋而降。仮工賈之手。以成帙者也。康頼蓋資用於此。故皆是原書之旧。而
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