、第4水準2−82−50]跪餌図」を作つて贈つた。茶山も幸にして病に悩されずに、快く巵《さかづき》を挙げたと見える。「不知身上残齢減。猶且欣々把寿巵。」前にも云つたやうに、わたくしは蘭軒の寿詞の闕けてゐるのを憾とする。
 茶山の家では夏に入つてから後も、祝賀の余波が未だ絶えなかつた。「誕辰後諸君持詩来集」の七律に、「新荷嫩筍回塘夕、微暑軽寒熟麦時」の頸聯がある。祝賀は麦秋《むぎあき》の頃にさへ及んだのである。
 此年の夏以後、蘭軒の集中には僅に四首の詩を存してゐて、しかも其一は題があつて詩が無い。人のために画に題する詩の中で、吉田周斎がためにするものは詩があつて、門人|秦玄民《はたげんみん》がためにするものは詩がないのである。玄民は書家星池の弟で、後に飯田氏を冒したものである。
 旺秋に入つてから、茶山の蘭軒に寄せた書牘が遺つてゐる。是より先七月に茶山は蘭軒の書を得てこれに答へた。次で蘭軒の再度の書が来て、茶山は八月七日に此書牘を作つたのである。これは文淵堂所蔵の花天月地《くわてんげつち》中に収められてゐる。
「先達而《せんだつて》御寸札ならびに論語到来、其御返事先月廿日|比《ごろ》いたし、大坂便にさし出候。今度御書に而は、右本御恵賜被下候由扨々忝奉存候。いよいよ珍蔵可仕候。※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎翁へも(隠居故翁と書たり)宜御礼奉願上候。御状も来候へども、此便急に而御返事期他日候。」
「今年御地寒熱之事被仰下、いづかたも同様也。先去冬甚あたたかに、三冬雪を見ず、夫《それ》にしては春寒ながく候ひき。土用中|以外《もつてのほか》ひややかに、初秋になりあつく候。秋はきのふたちぬときけど中々にあつさぞまさる麻のさごろもなどとつぶやき候。此比又冷気多く候処、今日より熱《あつさ》つよく候。いかなる気候に候や。生来不覚位の事也。先冬あたたかに雪なく、夏涼しくて雷なく、凌ぎよき年也。ことに豊年也。世の中も此通ならば旨き物也。諺に夏はあつく冬はさむきがよいと申せばさ様にも無之や。御地土用見廻之人冷気之見廻を申候よし、因而《よつて》憶出候。廿五六年前|一年《ひとゝせ》京にゐ候時、暑甚しく、重陽などことにあつし。今枝某といふ一医生礼にきたり、いつも端午が寒ければ、わたいれの上に帷子《かたびら》を著す、今日は帷子の上にわたいれを著して可然などと申候。」
「落合敬助太田
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